物語に自由意志は存在するのか。

漫画とか小説とか読んでいるとこんなフレーズに出くわすことがあります。
「俺は自分で考えてやっているんだ!」


え?お前、物語の中の登場人物じゃん?何言ってんの?
今日はそんな詭弁のお話です。
そもそも、物語の登場人物は作者によって作られています。作者が伝えたいメッセージ、書きたい物語、みんなが求めているもの。色々な要因によって物語は作られていると思います。
その中に登場してくる人物、キャラクターは作者の考えにより登場してきています。
セリフ、表情、描写。まぁ、なんでもいいですが、キャラクターは作者なくして動ける存在ではありません。作者がいなければ、現れない存在なんですからそこはそれ。当たり前といえば当たり前ですね。
さて、そんなキャラクターですが、物語の中では動きます。それはもう動きます。世界だって救っちゃいます。
そして、自分で考えることのすばらしさを説いたりするんですが……それが、物語の主人公が考えたお話であるわけがないんですよ。当たり前なんですけども……お話を作っている誰かがいるわけです。登場人物が知らない誰かが。
結局のところ、登場人物は誰かに動かされている操り人形でしかないということになります。当たり前なんですけどね。
作者という神がいて、その動向により登場人物は動いています。
そう考えると、「俺は自分で考えてやっているんだ!」ってセリフが非常に滑稽なものに思えてきませんか?