オススメと押し付けと

漫画とか、小説とか、音楽とか、とにかく自分が読んだり使ったり聞いたりして面白かったり感動したものを、人に薦めることがあるのだけれども薦める方法に悩んでしまう。
あまりにも、薦め方がおかしいとそれは押し付けになってしまうからだ。
私の場合、一度「これ面白いよ。読んでみれば?」と言って相手から反応が無かったらもう言わないようにしている。
だが、たまに自分の中ではいわいる神作品と呼べる作品が、周囲では気にも留められていない現実に遭遇した場合「いいから、読んでみろって!本当に面白いから!」などと言ってしまう。そんな時、決まって相手は嫌な顔をするのだ。
この方法だと、オススメしている意味が無いと気がつくのは、たいてい言ってしまった後で非常に後悔したりするのだけれども、まぁそれは別の話。
  
さて、押し付けが嫌がられる理由として挙げられるのは、「何でお前が好きなものを俺も読まないといけないの?興味無いものに、わざわざ出向かなくちゃいけないの?面倒くせぇよ」ということなのであろう。
そう考えて見ると、オススメも押し付けも同じような気がするのは気のせいであろうか。いや、気のせいではない。反語的表現。
人は、自分の意見・表現を他人に押し付けたがる。今までの歴史を見てもそれは明らかだ。

では、オススメと押し付けって何が違うのかと言うと結局のところオススメ(押し付け)をされる側が不快に感じるか感じないか。くらいであろうと思う。
たとえば、漫画感想サイトが巷にあふれているのは、その管理人が自分の思った感想を他人に伝えたいからだ。自分だけの殻に閉じこもるのであればわざわざ公開する意図は無い。
さて、こうした漫画感想サイトの感想を押し付けと感じることはあるのであろうか。答えは否。
なぜなら、見る側はオススメされるのを楽しみにしているからだ。

だからこそ、見る側と書く側の需要が一定である、感想サイトというものは巷にあふれかえるのであろう。


あ、そうだそうだ。言い忘れるところだった。


平坂読先生の作品、本当に面白いので見てくださいね!