僕は人を炎上させた

僕は人を炎上させたきっかけを作ったことがあります。
炎上させたことに気がついたのは、騒ぎが大きくなってtogetterでまとめを見た後でした。
炎上した人の元には、ありとあらゆる罵詈雑言が飛んでおり、僕は大変なことをしてしまったと思いました。
  
当時、僕は炎上元の発言を見て、イラッとしました。
何言っているんだろうか……この人?と思いました。
そして、煽り文句を入れながらその人の発言をRTしました。
『非難覚悟らしいから、心置きなくRTしてみた』って発言をしました。
なーんかイラッとするけど、うまい言葉が見当たらなくて
僕のフォロワーの誰かがガツンと言ってくれないかなーって期待を込めて。
その後、10分くらいは興味を持ってその行く末を見ていましたが、それ以降はすっかり興味を無くして
Twitterのタイムラインを見ながら、別の話題で盛り上がったと思います。
  
僕はイラッとしたから炎上した人の発言をRTしました。
僕のフォロワーの中には、僕の意図通りその人の発言を見て怒っていた人もいましたし、ガツンと言っていた人もいて、やっぱりそうだよなー、あの人の発言おかしいよな。って思ったりもしました。そこまでは知っていたのです。
ですが、まさかその後、発言に対してただただ汚い言葉を投げつけるだけの人が寄ってたかって一人の人を叩くことになるとは思ってもいなかったのです。
僕のフォロワーはよくできた人ばっかりだと当時僕は思っていました。
ですが、中には炎上を祭りと捉え『炎上元には好き勝手に攻撃をしていい』『汚い言葉を投げかけてもいい』『騒ぐことこそ喜び』という、ただただ弱いものイジメをしたい人もいました。
そして、その弱いものイジメをしたいだけの人のフォロワーには、そういう人の比率が多く、そういった傾向は加速していったのでしょう。
炎上をまとめたTogetterに発言が載った人は僕の知らない人ばかりでした。
もちろん、僕自身もその一人であることに間違いはありません。イラッとして、あーあ、こいつ誰か叩かないかなぁ。って思っていましたから。
ただ、僕は、発言に対して怒るのではなく、ただただ、弱いものイジメをしたいだけの人を呼び寄せてしまったことにとても後悔をしました。
  
あの人は、ただ僕をイラつかせただけだった。ただそれだけで済む話だったはずなんです。
それなのに僕は人を呼び込むことをしてしまった。
自分とは違う考え方を持つ人を、決していい人ばかりじゃない世の中で、そういったことを軽い気持ちでやってしまった。
  
僕は自分きっかけだったからこそ後悔をしているんだと思います。
自分きっかけじゃなかったらきっと後悔なんてしていません。
どこにでもある炎上の話に少しのっかかっただけとしか思っていないでしょう。
そして、また新しい火種を探すのです。
消し炭になってしまった炎のことなど忘れて。
もしくは、気が付かない間に
僕は燃え盛ろうとしている燃料に火を投げ入れているのかもしれません。
何を呼び寄せるかわからない大きな火になるかも知らずに。

僕は、セクシーキャバクラに行った

先輩に誘っていただいてセクシーキャバクラというものに人生で初めて行きました。
僕は、そういったお店に行くのは初めてで、ガールズバー?やらキャバクラにも行ったことすらありませんでした。
行く前から、先輩に対しては「いや、ごめんなさい……僕はこういったお店には向いていない人だと思います」とは言っていたのですが
「行ってみたら楽しいと思うよ!」って言われまして、本当に普段からよくさせて頂いている先輩だったので、断りきれずについていきました。
結論から言いますと、確かに女の子とおしゃべりしながらお酒を飲むのはとても楽しかったです。
ですが、それ以上に自分でもわけのわからない罪悪感にかられました。
誘ってくれた先輩、お相手してくださったキャバ嬢、そして自分自身にもわけのわからない罪悪感を感じました。
と、いうのも、僕は何もできなかったんです。
セクシーキャバクラというのは、まぁその女性におさわりができるお店なんですが、僕は胸に手を当てるのが精いっぱいだったんです。
キャバ嬢の方に抱きしめていただいたりとかして、胸の谷間(といっても、お胸がかわいらしいかただったので、胸の間というのが正しいのかもしれませんが)に顔をうずめさせていただいたりしても「あぁ、本当にすみません……」としか思えなかったんです。
お金にすると、1万円以下。1万円を払えば、女の子にこんなことをしてもらえる。
女の子は、この程度のお金で、わけもわからない僕みたいなやつ相手に、胸を揉まれたりキスをされたりする。
その事実が、なんかとても申し訳なく思えちゃって、何もできなくなっちゃったんです。
何もできない僕に対して、キャバ嬢の方は(もちろんお仕事なので)優しくリードしてくださって
「ほら、私から服を脱いだんだよ……」とか「触っていいよ……なめてもいいよ」とか言ってくださったりしたんですけど、
僕はただただどうしようもなくなって、こういうことをさせているのに、罪悪感を感じていることに対しても罪悪感を覚えちゃったりして、
わけわかんなくなっちゃってただただ「へへっ」って気持ち悪く笑うことしかできなくなっちゃって、それがまた自分の中で凹む要素になっちゃって。
もちろん、僕は健全な男なんで、おっぱい揉んだり、キスとかしたりしたいんですが、
お金を払ってこういうことをするっていうのが、なんだか本当に申し訳ないなぁ……って思えちゃって。
好きな人に対して、相手から合意を貰えてこそ、するべきものっていう貞操観念みたいなのが自分の中にあって。
女の子は、こんなはした金で、自分の身体を売ることができるんだなぁ……って思えて。
そして、そんなことを思う自分の傲慢さに凹んだりして。
自分の欲望的にも、相手のお仕事としても、キスとかした方がいいよなーって自分の中で、思えているのに、
その一方で、罪悪感に駆られてここで行動したら自分の中で何かが壊れてしまうって思えちゃって、
そんな自分勝手な自己愛がまたうっとうしく思えちゃって、また罪悪感感じたりして、結局何も動けなかったです。
こんなことを考えてしまううじうじとした自分もまた嫌で、でも、何もできなくて、
ただただ手のひらに包まれている胸の感覚が「あーやわらかいなー」「あぁ、女の子と愛し合っている人ってうらやましいなー」って思って現実逃避したりして。
そんなこんなで時間がきまして、終わりました。
おしゃべりしている時は、本当に楽しかったです。
話に合わせてくれるし、へーそうなんだ。って思うことを言ってくれたり。
お店を出る前に当たり前ですがお金を払いました。
お金を払った時に少しだけほっとしました。
お金を払ったことで、罪悪感が少しだけ薄れた気がしました。


※追記
AVを見ること自体には、大学生になりたてのころは抵抗がありました。
今でも、若干の抵抗はあるのですが、罪悪感は感じなくなりました。
自分がやるか他人がやっているのを見ているか。の違いが自分の中であるんだと思います。
一番罪悪感を覚えないのは、自分の中の妄想だったり、二次元キャラの妄想小説だったりイラストだったりします。
ここらへんで、罪悪感を覚えないからこそ、現実において潔癖症のような反応が出てしまい、罪悪感を感じたりしてしまうのかなぁ。とか、思ったりもします。


※追記その2
この文章は自分の中でそう思うってだけでして、お金を払ってそういうことをしてもらうこと自体を否定するつもりはありませんし、お金をもらっているキャバ嬢の方を否定するつもりも毛頭ありません。
そのような雰囲気を感じ取らせてしまったとしたら、誠に申し訳ございません。

モンハンが結ぶ親子の新たな関係

Twitterで会話していて、目から鱗が出たので書き記しておきます。

僕は、モンハンというものは仲のいい友だちだったり、ネットで仲間を見つけたりして、一緒に遊ぶものだと思いこんでいたのですが、中には親子で一緒にモンハンを楽しんでいる方もいらっしゃるそうなのです。


モンハンを親子で楽しむメリットとして、
・コストパフォーマンスがいい
・親子の会話ネタが増える
・一緒に何かをしているという感覚の共有
・モンハンを軸に、他のこともきちんとするよう躾けることもできる
ということがあげられるとのこと。


ここから先は、これらを聞いて、個人的に思ったこと感じたことを書き連ねていこうと思います。


・コストパフォーマンスがいい
子どもは飽きやすいです。おもちゃを買ってあげても下手したら1日で壊したり飽きたりしてしまいます。
しかし、モンハンはやり込み要素が強いゲームです。普通にやっても100時間は平気で越える……むしろ、100時間は少ないとさえ言えるようなゲームだと僕は感じています。
そんなゲームですから、親としてはこれさえ与えとけばいい。みたいなところもあるのだと思います。もちろん、他の遊びを提供するのも親の務めかと思いますが、ゲーム1つで一年保つとなると、親のサイフも大助かりかと。


・親子の会話ネタが増える
これは特に男親に多いとは思うのですが、子どもと会話するネタって意外と無いです。基本的には学校のこと、趣味のことを話すことになると思いますが、それは子供から見た一方的な視点になることが多く、大人の僕達にはぴんとこないものもたくさんあるかと思います。
しかし、モンハンというゲームを一緒にやることによって、共感することもできるでしょうし、親からも子供からも同じ話題を話すことができるわけです。
これは、昔、ゲームが本当に子供のものだった時代から考えると、考えられないことであって、親子関係の新たな関係性であるようにも思います。そういえば、昔、親子だけど友人みたいなものです。と言って、母親が娘の服を着ている親子とかの特集をしていたことがありましたね。
それをゲーム1本で行えるようになったのが現代なんだと思います。


・一緒に何かをしているという感覚の共有
これは、親子の会話ネタが増えるとほぼ同じなのですが、親だけがやる、子供だけが行うのではなくて、一緒に何かをしているという感覚は、友人関係はもちろん、人間関係を語る上でも非常に重要なことなのではないかと思います。
ゲームで繋がる親子の絆といいますか、子供だけではなくて親も一緒にゲームをすることによって、親子関係はぐっと身近なものになるのではないでしょうか。


・モンハンを軸に、他のこともきちんとするよう躾けることもできる
モンハンは、狩りをするゲームです。ゲームですが、ゲームだからこそ教えられることもあると思います。
人を助けることの大切さ、協力することの大切さ。意思疎通の大切さ、役割分担の重要性。攻撃を欲張り過ぎないこと、ひいては引き際を見極めること。
などなど、ぱっと思いついただけでもこれだけのことがあげられます。こういったことを教え、学ばせることもできるはずです。
もっと、直接的には、○○をきちんとできていない子には、モンハンさせない。ですとか、一緒にモンハンしてあげないよ。といったことが考えられるかと思います。これは、まぁ飴とムチですね。
親子で一緒にプレイしていると、子供がどれだけハマっているのかもよくわかりますし、プレイ時間が増えているかどうかだけでも、約束破りなどがわかりますから、こういった飴とムチは非常に効果的なんじゃないかなぁと思います。


最後になりましたが、僕は専門家では無いのでこれらのことは教育的に正しいのかどうかはわかりません……
けど、こういう新しい親子関係の有り方というのは、ゲームが好きな僕からすれば羨ましいと思います。

実際に会って話を聞いて思うこと

この間、東京へ遊びに行きまして。人と会う機会があったんですよ。
また、この間知り合った人がいまして、その人と飲む機会があったんですよ。
そこで、人生の断片をお聞きすることができまして。その人生の中身については、詳しくは言えないんですが、えーそれぞれ壮絶としか言えない、まず普通に生きていたら遭遇することが無いような人生でして、とても刺激的でした。
言葉が悪いかもしれませんが、それは普通に生きている自分としては、とても面白い人生経験であり、お話を聞かせていただいて嬉しかったです。このブログを見ているかどうかはわかりませんが、ありがとうございました。


本題。
人の話を実際に会って聞いてみると、その人の顔や声や話し方など、その人のクセみたいなものが文字と違って見えてきます。これは、インターネットでは決して味わえないものだと思っています。
インターネットには刺激的な、まぁ普通ではない体験談、人生経験が毎日書き出されていたり、動画として残っていたり、音声として保存されて、それを見聞きすることができます。
それはそれで他人の人生を覗き見させていただいているようで面白いのですが、やはり私にとっては実際に会ってお話を聞くほうが面白いようです。実際に会って話を聞くと、聞くだけではなくこちらからのアクションもインターネット上より気軽に行うことができます。こちらの顔や、手つきなども見えていますからね。
過去というものは変えることができず、体験談というものは体験した人が語るからこそわかってくるものというのがあると思います。その人が経験したことについて理解することは難しいとは思いますが、その話を聞いて考えることができます。また、そういうことがあるというのを知ることができますし、その話を聞いて感情を揺さぶられること、考え方が変わることもあると思います。
自分の人生を変えることはできませんが、他人の人生の経験談を聞くことで、まるで他人の人生の思い出に浸れるということなのかもしれません。そして、その他人の人生の思い出に浸る、浸透度と申しますか、それを高めるためには、実際に人に会い、その人の口からお話を聞くことなんだろうなぁ。と思いました。

レンタルコミックについての誤解

まず最初に。
法律関連あんまり詳しくないので、ちょっと調べてみただけです。ですので、私自身が勘違いしている可能性があります。間違っていたら指摘してください。お手数おかけしてごめんね!


えっと、レンタルコミックって著作者にお金が流れています。ってことです。


参考資料としては、ここらへんがあげられるかなーと
一般社団法人 出版物貸与権管理センター
http://www.taiyoken.jp/index.html
同上 出版物貸与権管理センター内資料ページ
http://www.taiyoken.jp/siryo.html
貸本1冊あたりの著作権料は265円から、レンタルコミックの著作権料支払い制度12月1日スタート
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/10/1265121.html

電子貸本Renta!運営会社 株式会社パピレスホームページ内 出版社様へのご案内
http://www.papy.co.jp/info/index.php?page=/cs_info.htm


ただし、昔ながらの貸本業は、著作者に金払わなくてもいいことになっています。以下参照

第10条(使用料の免除) 前条にかかわらず、全国貸本組合連合会の会員またはそれに準ずる旧来からのいわゆる「貸本屋」と認められる事業規模および営業形態の者であって、かつ、以下の要件1および2を全て充たした者については、委託者は受託者に使用料の免除を申し出ることができる。
1 平成12年1月1日以前に旧来からのいわゆる「貸本屋」として営業を開始し、転廃業などをせずに現在までその営業を継続している者
2 貸本対象出版物が1万冊以下の者
(管理委託契約約款 第10条)



えっと、どうしてこんなこと書くのかっていうと、レンタルコミックが漫画喫茶や中古書店のように著作者へのお金の流れが出来ていないかのように言われることがありまして……あれ、そんなことなかったよな……自分でも確認しておきたいな。と思ってちょっと調べて、覚書のように書いておこうと思ったからです。
まぁ、貸与権の抜け道を自ら見つけて運営しているレンタルコミックというのもあるのかもしれませんけど……そこらへんは調べてないんでわかりません。これが果たして正しいことなのか、自炊代行業者がどうたらこうたらも知りません。ただ、著作者へのお金の流れはできているよという事実だけは確からしいってことを確認したかったのです。

ちなみに、平成23年度のレンタルコミック使用料は、2012年10月1日に、権利者の皆様方へ分配されたらしいっすよ。総額約12億8千万円の使用料だそうです。
http://www.taiyoken.jp/kenri.html


ちなみにちなみに
無許諾の本をレンタルとして出すことはできません。もし、無許諾の本をレンタルとして出すと、*「10年以下の懲役または1千万円以下の罰金」 著作権法第一119条になるんだそうです。怖ぇぇ……
http://www.taiyoken.jp/rental.html

好きこそ物の紹介なれ

タイトルは好きこそ物の上手なれをもじったもの。
どうも、絶賛留年の危機に陥っている人間です。こんばんは。でも、書きたくなること(言いたくなること)ができたんだから仕方が無い。そう自分に言い聞かせながらブログを更新しています。

まぁ、そんなことはどうでもいいんです。今日の書きたくなったことはこれ。

みんなもっと自分の好きな物を紹介しよう!好きな物のリンクができあがって、もっと自分の好きな物が広まるかもよ!?



いやね、最近思うんですよ。自分の好きな物とかもっともっと紹介してもいいんじゃないかなぁって。っていうか、人の好きな物とかもっと見てみたいなぁって。
誰にだって好きなものってありますよね。例えば、カレーにチーズ入れるのが好きだとか、この作家の作品はもうすげぇ大好き!とか。
そういった好きな作品とかそういうのどんどん紹介していったら、好きな人が増えていくんじゃないかなぁって。
例えば、こんなブログでも流れ着く人が大体、日に10人くらいいるわけですよ。Twitterなんかで言えば、私はフォロワーがおおよそ1000人いますから、今までその私が知っている好きなものを知らなかった人が知る可能性があったりするわけです。これは分母が大きいからとか小さいからとか関係無く。
インターネット上ってのは世界につながっているわけですから、好きなものを紹介したときに、その好きなものを知っている人も多いですし、知らない人も多いわけです。そして、知らない人がその情報を知ったとき、そして、それを好きになったら、自分が好きなものが好きな人が1人増えるわけです。それってなんか嬉くないですか?
また、例えば趣味が似ている人を見つけたとき、その人が好きなものを紹介したら、それは、自分が好きなものである確率が高いわけです。あっ、あの人が紹介しているから読んでみようかなぁ。とか、あの人が紹介しているから試してみようかな。とか。
これ、誰でも思われる可能性があります。こんな辺境で偏狭で偏狂な私ですら、誰かにあぁ、この人趣味が似ているなぁと思われている可能性はあるわけで。
好きな物を紹介したら、好きな物が広まっていく可能性はあるわけで。
好きな物のリンクというのは結構多かったりする気がします。私自身、同じような漫画の趣味を持っている人が紹介している漫画を読んで、うわぁ!これは読んでよかった!とか思うことが多々あります。
もちろん、現状でも、さまざまな人が自分の好きな物を紹介しているとは思うのですが、もっともっと好きな物を紹介してもいいんじゃないかなと思いました。
あなたが好きな物は、誰かがこれから好きになる物なのかもしれないのですから。




と、いうわけで最後に、私が最近大好きなボカロの曲をペタリ。


*ただし、好きなものの紹介の仕方などは若干考えなくてはいけないとは思います。無断転載問題とかありますから。

デマを訂正しない人達の気持ちになって考えてみた

Twitterはデマッターとかなんとか言われていますが、じゃあどうしてデマを垂れ流してしまうのか。
というか、デマだとわかった時でも、なんでデマを流した人は訂正をしないのか。
そんなことをもし、自分がデマを流してしまったと仮定して、考えてみました。


・それがデマだとはまだ断定できない
デマ?何を根拠にデマだと言い張るのですか!?え!?政府の会見?そんなの嘘っぱちだ!政府の陰謀だ!


・デマだと認めると、自分が恥をかく
デマ流してしまった。恥ずかしい……けど、知らんぷりしていたら、それがデマだとは誰もわかんねえよ。俺はフォロワーには真実を伝える求道者で通っているんだ!そんな恥を認めてたまるか!

・自分の求心力が落ちると思ってしまう
デマ流しちゃったよ。やっべえな……俺は常に正しい情報を流していて、フォロワーから信頼されていたのに、信頼を損ねてしまう……こんなんじゃ、次の情報もあいつはデマを流すかもしれないって思われるかも……いいや。知らん知らん。今回は運が悪かっただけだ!

・デマだと言ったら、嫌われるかも。
あれー……これ、あの人が絶対に信じていることだったのに、デマだったよ……でもなーこれをデマって言っちゃうと、あの人との関係に亀裂が入っちゃうかも……まぁ、いいや。

・別にいいや理論
あー、あれデマだったんだね。でも、別にいいでしょ?そんなこと。些細なことだよ。デマだろうとなんだろうと、似たようなことは起きてるでしょ?そんなことでいちいち立ち止まってられないんだよ。これからもどんどん情報出さないといけないんだ!俺は!

・デマを流したことに気がついていない
え?何?デマ?俺が流したの?え?いつ?あぁ、あれデマだったの?ちょっと気になったからRTしただけだったわー。知らんかったわー。その後とか知らねえしー、そんなことがもしあるなら大変だなーってその時に一瞬だけ思っただけだしー。今考えていることは、とりあえずおっぱいおっぱいだから、俺には関係ないね!ってか、そんなこと気にすると、ハゲるよ?心配性ですね。


このくらいでしょうか?
いかがでしょうか。俺としては1番最後のものが1番多い気がしています。別にいいやも多い気がしていますけども。